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2022年1月14日(金)

  • 葬儀の歴史

神道と神葬祭

神道と神葬祭

〇近世宗教としての神道

神社信仰は日本古来の民俗宗教ですが、「神道」という一つの体系をもった宗教として成立するのは鎌倉時代中期以降のことです。
 神道の体系や儀礼を作り上げるのに特に貢献したのは吉田兼倶(1434~1511年)です、兼倶は密教や陰陽道と取り込み神道を体系化していきまいたが、日本においては神道が儒教や仏教に対して宗主的な位置を定め、万法の根底であると理論づけました。

〇吉田神道による地方神社の組織化

惣村における寺院の建立や寺壇化の進行により、地方においては仏教の影響力が強まる反面、神社は地位の低下を招きました。地方、神仏習合(神道と仏教の融合)によって出来た、神社内に造られた真言宗や天台宗系などの寺院である神宮寺や別当寺も室町時代後期になると寺院を離れ、修験道(日本古来の山岳信仰に基づく日本仏教の一派)の手に移っていきました。吉田神道はこうした神社、神宮寺、別当寺などを唯一神道として支配下にしておくようになり、それはほぼ1700年頃には完成されたと言われます。

〇儒学写からの仏教批判と儒葬

藩などの行政に関係した儒学者からも仏教批判が出てくるようになります。特に民衆の寺院への寄進、布施は、藩の微税と対立してたため「寺院が民衆を経済的に圧迫している」などと、僧侶の道義批判のの形をとって仏教批判を強めるところとなります。
 17世紀には水戸藩や土佐藩などでは儒葬(儒葬の儀式による葬式)が行われています。

〇仏教排除と神葬祭

仏教から独立を果たそうとする神社にとっての大問題は、檀家制度(寺請制度)でした。これによって、神職といえども檀那寺に属さなくてはならず、また仏教葬を強いられていたからです。
 そこでこれらの神社は、仏教を排除し、仏教色を払拭し、宗教としての神道を確立すると共に、神葬祭を唱えるようになりました。しかし、神葬祭を実施することは檀家であることをやめることでしたので、檀那寺の許可が必要となります。これは、寺院との軋轢を生じさせるところとなりました。
 幕府は宗教問題としてよりも民衆支配体制の問題として檀家制度をとらえていましたので、神葬祭を容易には許可せず、ようやく1785年、幕府は「吉田家から葬祭免許状を得られたならば神職当人及び嫡子にかぎって寺院の宗門を離れて神葬祭をしてよいが、その他の家族は宗門を離れてはいけない」という判断を示し、これは明治維新まで続きます。
 また、この当時の神葬祭というのは儒葬的なものにとどまりました。神葬祭の形式がまとめられるのは1872年(明治5年)に維新政府の新部省により制定された『葬祭略式』によってです。幕末になると平田篤胤(1776~1843年)などによる修古神道、国学者による俳仏論が強まり、社会的な影響を与えるところとなりました。

 

 

 

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